今回はHSPの特性と言われている “完璧主義” について、私の子供時代について書きたいと思います。
一番への目覚め
私は物心ついた頃から、学ぶことに興味があり、気になったことは何でも祖母に聞いて勉強していました。
そのため、ひらがなやカタカナなどの文字も幼稚園に入る前から祖母に教えてもらっていたので、幼稚園の五十音テストではクラスで一番に満点合格してしまいました。
すると先生やクラスメートから
「にゃりこちゃん、すごーい!」
と褒めてもらえたのです。
私はこの時、ただ自分の興味があったことだから勉強して覚えただけなのに、こんなにみんなから褒めてもらえるんだと嬉しくなりました。
同時に何事も完璧にやって一番になれば周りの人たちからたくさん褒めてもらえるということを覚えてしまい、 “完璧一番” に執着するようになってしまったのです。
何事にも “完璧一番” を目指す小学生時代
私は小学校に入学してからも、何に対しても完璧を目指しました。
(陸上競技以外の運動は苦手で、いくら努力してもできなかったので、体育に関しては諦めていました)
筆記テストの日程が決まれば、テストの日まで毎日テスト範囲の勉強をし、リコーダーの発表となれば手首と指が痛くなるほど家で自主練、家庭科や美術の作品やレポートなどは家に持ち帰り、自分が納得いくまで修正する。
こんな小学生時代を過ごしていました。
そして、努力を重ねて一番を取る度に褒めてもらえました。
しかし小学校高学年になり、算数が難しくなってきたことにより理解できない問題が出てきたのです。
家に帰り、わからないところを家族に教えてもらおうかと思いましたが、祖父母や伯父は勉強をあまりやってこなかった人たちなので教えてもらえませんでした。
そこで私は算数でつまづいたことをどうにかしたいと思い、祖母にお願いして進学塾に通わせてもらうことにしました。
上には上がいることを知る
進学塾に入ったばかりの頃は、勉強が理解できず一番下のクラスからのスタートでしたが徐々に勉強のコツを掴み、テストで良い点をとって上のクラスに上がっていきました。
そして最終的には、6クラスあるうちの一番上のクラスに入ることができたのです。
一番上のクラスに入った時は、自分の努力の成果が実ったということで嬉しく思いましたが、クラスで勉強するうちにすぐに気がつきました。
上には上がいるということを。
クラスには自分よりも遥かに地頭のいい子たちが揃っていたので、その子たちにはいくら努力しても10倍100倍勉強してもどうしても敵いませんでした。(その子たちは後に東大、京大などの大学に入りました)
私はこの時、元々の自分のスペックでは努力にも限界があることを知り、勉強は自分のできる限りでベストを尽くすことを決めました。
(勉強と体育以外のことは引き続き一番を目指しました)
高校、大学へ進学
私は一番にはなれなくとも勉強は続けていたので、高校はそれなりの進学校に入り、大学にも進学することができました。
そして高校、大学と進むにつれて中学時代までよりもたくさんの優秀な子たちに出会いました。
私は更に上には上がいることを知り、自分がそれまで闘ってきた世界が、いかに小さな世界だったかということ知ったのです。
次回 完璧主義② 大人編 に続く
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