毒親生まれのHSPにゃりこの記録

毒親生まれのHSPにゃりこが、前に進むための記録

【毒母記録 19 】担任によるいじめ① 最悪の担任登場

 

 

担任Y登場

 

毒母が姿を消して数ヶ月後、にゃりこは小学5年生になります。

 

5年生でクラス替えがあり、56年生はクラスメートも担任も持ち上がりでした。

 

5年生でにゃりこの担任になったのは50代前半、既婚子持ち女性のYでした。(以降担任Yと記載します。)

 

この担任Yとの出会いで、にゃりこの小学生最後の最悪の2年間が始まりました。

 

今回の記事から、担任Yによるいじめをまとめていこうと思います。

 

始まりの家庭訪問

 

5月、家庭訪問で担任Yがにゃりこの家に来ることになりました。

 

家に来た担任Yの応対をするのはもちろん祖母です。

 

祖母は

 

「にゃりこの母親は仕事の都合で別居しているので、本日は私が応対させていただきます」

 

と嘘をつきました。

 

すると担任Y

 

「にゃりこさんのお母さんはたまには帰ってくるわけ?おばあさんじゃなくて、お母さんに会いたかったわ!

 

と家にくるなり嫌味を言いました。

 

その後も家庭訪問中祖母への当たりが強く、ことあるごとにチクチクと感じの悪い返答をして、担任Yは帰っていきました。

 

祖母は担任Yに対して強い不信感を抱きました。

 

 

担任Y、 “お気に入りの生徒” を見つける

 

担任Yは家庭訪問をした結果、何名かの お気に入りの生徒を見つけます。

 

担任Yが気に入った生徒は、家庭事情が複雑な生徒

 

特に母親が機能していない、または母親がいない生徒3人でした。

 

まずは、母親がシングルマザーで水商売をやっている女子Kです。

 

Kの家では、母親が夜の仕事に向けて日中寝ているため、学校生活には無関心でした。

 

2人目は父親がシングルファザーの男子T3人目はにゃりこでした。

 

担任Yは母親の機能していない(母親がいない)生徒3人に目をつけ、自分の機嫌の悪い時にやつ当たりをしたり、晒し者にしてクラスの中で差別を始めました。

(母親が機能していない生徒を選んだのは、いじめても親からクレームが入りにくいため)

 

にゃりこの1年から4年までの担任は、家庭環境で差別するような担任はいなかったので、にゃりこは酷い教師がよりによって2年間も担任になってしまい、この先どう乗り切ろうかと不安でいっぱいでした。

 

 

 


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