はじめに
30数年前の梅雨時、私はある田舎に産まれました。今日まで父親の愛情も母親の愛情も一度も受けたことはありません。
私が0歳の時に両親が離婚していて、その後父親には一度も会ってもらえてないので、父親の記憶は全くありません。
こんな私が、多少は捻くれても前向きにやってこられたのは、私を自分の子供のように愛情を持って育ててくれた祖父母のおかげです。
本投稿から私の誕生前からの記録を順に書いていこうと思います。
父親と毒母の出会い、毒母の妊娠
私の父親と毒母はテレフォンクラブで知り合い、交際して少しして、毒母が私を妊娠しました。
この時の父親、毒母の年齢
父親:30歳
毒母:20歳
2人の年齢は10歳差
当初毒母は私を産むと言っていましたが、2人の仲が悪くなると気が変わり、「中絶する!」と言って中絶手術の予約をしました。
父方母方両家の祖母は止めました。
まず母方の祖母は毒母に「子殺し!お前は最低だよ!」と言い、父方の祖母は「命を粗末にするものじゃない。中絶手術はやめさせなさい」と言って手術をやめさせるよう父親を説得していました。
中絶手術の日
中絶手術の日、毒母が手術をするために病院に行こうとしていると父親が毒母の実家に来て言いました。
「俺の母親(父方の祖母)が命を粗末にするなと言ったから、中絶手術はやめろ」
父親は自分の意思ではなく、自分の母親に説得されて手術を止めに来たのです。
そのおかげで、手術は中止になり、私は助かりました。
危機一髪でした。
こうやって記事に書いてみると、改めて私は父親からも毒母からも望まれずに産まれて来たんだなと思いました。
今こうして生きているのは、止めてくれた祖母たちのおかげです。
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