にゃりこ、父親に会いたくなる
毒母が自分に対してあまり愛情がないと知ったにゃりこは、ある日意を決して祖母にこう言います。
「おばあちゃん、あのね、私お父さんに会ってみたいの!どうにか会えない?お願い!」
にゃりこは毒母に愛されていない寂しさから、会ったことのない父親に会いたくなったのです。
祖母はにゃりこがかわいそうになり、電話をかけるのに少し勇気がいりましたが、電話帳で電話番号を調べて、にゃりこの父親の実家に電話をしました。
すると父親の母親(にゃりこの父方の祖母)が電話に出ました。
祖母が「にゃりこがお父さんにどうしても会いたいって言ってるんですが、一度会っていただけませんでしょうか」と聞くと
父方の祖母はこう答えました。
「今息子は、交際している女の子がいて、そのこがとってもいいこなのよ。せっかく交際が上手く行ってるのに、今更前の結婚相手の家族が出てくると迷惑なのよねー。
それに会いたいのはわかるけど、こんな大事な電話をお母さん(毒母)じゃなくおばあさんがかけてくるってどうなの?
息子はちゃんと養育費は払ってるんでしょ?」
祖母はにゃりこが3歳から養育費が支払われていない(【毒母記録 6 】参照)ことを伝え、この時点で会ってもらうのは難しそうだと諦めました。そして少し会話してから、
「わかりました。それでは。」
と電話を切りました。
この電話で、お宮参りの時ににゃりこを抱っこしてくれなかった父方の祖父(【毒母記録 2 】参照)が亡くなったことがわかりました。
また、にゃりこの家から電話があった事を、父親が聞いたかはいまだにわかりません。
父方の祖母は、毒母から電話してこなかったことが不服だった様で、毒母がにゃりこのために骨を折って電話してくれていれば結果が変わっていたかもしれません。
この日を境ににゃりこは、父親と会うことを諦めました。
毒母、豪遊しまくる
この頃の毒母はというと、高いブランドの化粧品、下着、バッグなどを買いまくり、世界中旅行に行きまくって豪遊していました。
化粧品は全てデパ地下のもの、下着は何万円もするもの、バッグはルイヴィトンやエルメスなど(1つ30~50万円ほどするものをいくつも持っていました)、旅行は東南アジアやヨーロッパ、時にはペルーまでも行っていました。
毒母は自分のものを買うためにはお金に糸目をつけませんが、にゃりこには何一つ買ってくれず、養育費も全く出しません。
(ブランド品などは、男からプレゼントされたり、やったり辞めたりしていたホステスやコンパニオンの仕事で稼いだお金で買っていたとのこと。全盛期は水商売での月収は100万円程だったがにゃりこの養育費などは全く出しませんでした。)
また海外旅行に行くために駅前NOVAに通って英会話を習い
「私は英語が話せるから、一生仕事に困らないのよ!」
とドヤ顔で自慢していました。
※上記のように自慢していた毒母ですが、50代になった現在、派遣の仕事がなかなか見つからず苦労している様子。
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