にゃりこ結婚
社会人2年目の時部署異動があり、にゃりこはたまたま隣の席になったある男性と知り合います。
男性はにゃりこより歳は9歳(学年は10個)上でしたが、男性も両親が若い時に亡くなった苦労人でお互いに両親がいないということですぐに意気投合しました。
そして社会人2年目の終わり頃、2人とも家族がいないので結婚しようということになりました。
籍は入れましたが、目立つことが嫌いなのと両親も親戚もいなく、呼ぶ人もいないので結婚式などはやりませんでした。
毒母、二度目の再婚
にゃりこが結婚したと祖母が毒母に連絡したすぐ後に、何故か毒母が彼氏M (以降夫Mと記載します) と再婚します。
後から聞いた話、毒母はもっと早くに再婚したかったが、自分(毒母)ばかり幸せになると悪いのでにゃりこが結婚するまで待ってやったとのこと。
また夫Mに長年子供をつくろうと提案されていたが、にゃりこに遠慮してつくらなかったとのことでした。(これらの話を後に、恩義せがましく毒母から聞かされました。なお、子供は育てられないのでつくらなかっただけだと思います)
にゃりこは祖母を通して毒母に結婚の報告をしましたが、お祝いなどは全くしてもらえませんでした。(毒母は結婚した時以外も、にゃりこが大学に入学した時も、成人した時も、就職した時も全てお祝いなどはなくスルーでした)
躁うつ、適応障害の診断
にゃりこは社会人3年目の時に職場での人間関係で悩み精神的におかしくなり、心療内科に行くことにしました。
(この話は長くなるので、いつか他の記事で書きます)
これまでも何度か心療内科に行ったことがありましたが、この時は本格的に体調を崩してしまい、診断書をもらって数ヶ月間休職することに決めます。
にゃりこは心療内科に行き、診察室に入ると、とても優しそうな男性の先生が座っていて診察が始まりました。
先生は
「それでは、今日はまずあなたのことを知るために、あなたの産まれた時から現在のことまで、ざっくりでいいので話してもらえますか」
と言いました。
にゃりこは、幼い時のことはあまり話したくないなと思いましたが、診察のために幼少期のことや毒母のことなどそれまでの人生の出来事をざっくりと話しました。
そして今回は職場での人間関係の悩みが原因で、体調を崩して病院に来たが、中学生ぐらいからずっと躁うつのような症状があることも伝えます。(中学時代から始まった躁うつ症状については【毒母記録 25 】参照)
にゃりこの話を聞くと先生は、次のように答えました。
「あなたが精神的に不安定になりやすかったり、躁うつの症状が出ているのは幼少期の生育環境(毒母の育児放棄など)やストレスが関係していると思います。幼少期にそのような環境に置かれて育った人は、自尊心や自己肯定感が低かったり、様々な精神障害になったりします」
にゃりこは、この心療内科の先生のお陰で、長年の躁うつ症状の原因を知ることができたのです。
この診断のあと、適応障害で数ヶ月の休職が決まり、職場も異動することになりました。
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