毒親生まれのHSPにゃりこの記録

毒親生まれのHSPにゃりこが、前に進むための記録

【毒母記録 34 】長年毒母に聞きたかったこと

 

 

毒母との電話

 

にゃりこは毒母とある程度関係を修復できるか判断するために、毒母と話をしてみようかと時間がある時に電話できるかメッセージで尋ねました。

 

すると毒母から喜んでる様子で「今晩電話したいです」と返事が来ました。

 

にゃりこは夜になり、毒母に電話しました。

 

会話すると毒母は、祖母の肺に影が見つかったことをすでに祖母から報告を受けていて、少しは心配している様子でした。

 

にゃりこは、祖母の現在の病気の様子などを話した後、本題を切り出します。

 

「おばあちゃんからのお願いで、あなた(毒母)とある程度関係を修復してほしいと言われて、今日はそれができるか判断するために色々質問したり、話を聞きたいです

 

にゃりこは、物心ついたころからずっと毒母に聞こうと思っていたが、聞けなかったことを質問しようとある程度事前にまとめていました。

 

長年毒母本人に聞きたかったこと

 

この電話で質問したのは以下のような内容です。

 

なぜ、にゃりこが赤ちゃんの時に世話をせずに育児放棄して彼氏を選び、家を出て行ってしまったのか

若気の至り。祖父母が出て行けと怒ったから仕方なく出て行った。あくまで出て行ったのは祖父母のせい。(【毒母記録 3 】参照)

 

2人目の夫Fと離婚して実家に帰ってきた時に、祖母に毒母も実家に暮らしてみんなでにゃりこを育てようと提案されていたのに、この時もなぜにゃりこを置いて出て行ってしまったのか(【毒母記録 6 】参照)

(この時祖母は生活費の援助をし、育児も手伝うと言い、毒母はパートだけやってれば良いよと提案していました(毒母にとっては超イージーモードな生活))

祖母と性格が合わないので、一緒に暮らしたくないし、育児したくなかった

 

にゃりこが大切なら、自分を犠牲にしてでも(祖母に助けてもらいながら我慢して暮らすか、それが嫌なら一人で働きながらにゃりこを育てる)何とか生活するはずだが、結局は自分が一番大切だったということか

沈黙

 

今まで子供を育てず、海外旅行に行ったりブランド品をたくさん買ったり、男を取っ替え引っ替え好きなことだけをやって人生楽しかったか

楽しかったが、にゃりこに悪いことはしたとは思っている。反省しているのでこれからはにゃりこと仲良くしたい。

 

にゃりこに悪いことをしたと気づいたのは、いつか

毒母が30歳の時。にゃりこを置いて行ってから10年ぐらいしてから、同年代の会社の同僚が一生懸命子育てをしているのを見て、自分のしたことの重大さに初めて気がついた。それまでは、自分がいけないことをしているとは思わなかった。(【毒母記録 15 】参照)

 

 

にゃりこはここまで聞いて、毒母と復縁は無理だと判断します。

 

20代前半の時と比べると50歳になり多少は言うことがまともになった気がしましたが、自分の非をなかなか認めないことや言い訳ばかりするところは変わっていませんでした。(電話の最中も「でも、でも」と言い訳ばかりしていました)

 

自分が悪いのに、祖父母が怒ったせいで赤ちゃんだったにゃりこを置いていったと祖父母のせいにしたり、にゃりこを置いて行ってから10年間も自分が悪いことをしたと気づかなかったという発言が決定打になり、にゃりこは和解は不可能だと判断したのです。

 

ですが毒母は、にゃりこに何とか許してもらって仲良くしたそうだったので、にゃりこは祖母のためにも一旦は表面上だけ仲良くするフリをし、復讐のために時が来たら今度はにゃりこの方から毒母を捨ててやろうと思いました。

 

にゃりこは電話の最後に

 

「今日は、色々と話を聞いてよくわかりました。今後復縁できるか検討します

 

と嘘を言いました。

 

すると毒母は

 

「今日の話で納得できなかったら、にゃりちゃんが納得するまで何度でも電話してきていいからね。私はいくら責められても構わないし、いくらでも話を聞くよ

 

と言いました。

 


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