毒親生まれのHSPにゃりこの記録

毒親生まれのHSPにゃりこが、前に進むための記録

育児ノイローゼになった経緯

 

今回は、私が育児ノイローゼになってしまった経緯についてです。

 

 

育児ノイローゼ

 

私は夫と結婚してから息子が産まれて、楽しい生活をさせていただいていたおかげで躁うつの症状が落ち着いていました。

 

子育ても大変だろうなと思っていましたが、想像していたより大変ではなく、楽しんでやれており、息子のために頑張ろうと、毎日育児に全力投球していました。

 

しかし息子が1歳半の頃、1歳半健診のお知らせが届きます。

 

手紙には問診票が入っていて、できることできないことを答える質問が多数記載されていました。

 

その内容は例えば、 “欲しいものを指さしで知らせますか“ “ちょうだいと言うと渡しますか” などの質問に対して “はい” “いいえ“ で答えるというもので、息子はできていないことが多いということに初めて気がつきます。

 

それ以外にも息子が気になる行動をいくつかしていることを発見し、それらの行動が気になって頭から離れなくなり、朝から晩までネットで検索するようになりました。(気になる息子の行動については、今は書ける精神状態ではないので、書けるようになったら書きます)

 

そしてネットで検索すればするほど、怖いことが書いてあったのです。

 

それから周りの同じぐらいの月齢の子と息子の発達具合を比べるようになり、大切な息子にもし何かったらどうしようかとそればかり考えて、神経質に息子の一挙一動が気になって、夜は一睡もできなくなりました。

 

夫にも悩みを相談しようとしましたが、仕事などが忙しい時期で話を聞いてもらえる状況ではなく、一人で追い込まれて気がついたら精神的にかなりおかしくなっていました。

 

 

適応障害の診断

 

心療内科に行き、診察を受けた結果、もともとあった躁うつの再発と適応障害(育児ノイローゼ)と診断されました。

 

この頃は、症状が酷い時は息子にご飯を食べさせるなどのそれまで当たり前にできていたことをするのもキツくなり、自分は何て情けないんだ、何でこんなことになってしまったのかと自己嫌悪に陥っていました。

 

 

適応障害の診断から数ヶ月。

 

その日もいつも通り、何とか息子にご飯を食べさせていました。

 

すると突然息子が私の目を見て

 

「ママ」

 

とにっこり笑って言ってくれたのです。

 

 

私はその笑顔を見た瞬間、涙が溢れ出しました。

 

そして、我に返り自分は今まで何をやっていたんだろうと。

 

私はそれから息子のために心の病はしっかり治して、前を向いて生きていくことを決意しました。

 

そのため、現在は病気を治すため心療内科に通いながら育児をしています。

 

 

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私の心の病歴

 

今回は、私の心の病歴について書きたいと思います。

 

 

私の心の病歴

 

誕生

赤ちゃんの時から、毒母の育児放棄など精神的攻撃を受けまくる

(詳しくは毒親記録目次ページから私の毒母記録を読んでいただければと思います)

 

小学校56

母親がいないことが原因で担任にいじめられる

(【毒母記録 19 】〜 24  参照)

 

中学生

中学までの生い立ちが原因となり、躁うつの症状が出始める

(【毒母記録 25 】参照)

 

高校生

高校1年生の時、伯父が私の異変に気づき心療内科に連れて行ってくれて、それ以降心療内科に通うようになる

 

高校生~社会人

躁うつの症状が年々酷くなり、症状が出ている時に命を絶つことを考えるようになる

 

結婚

結婚して気の合う夫と生活するようになり、躁うつの症状がかなり落ち着く

 

出産、育児

息子の1歳半検診を機に息子の発達で悩み、育児ノイローゼを発症し、それに伴い躁うつが再発して悪化する

息子の発達について調べている時に、HSPという言葉を知り、自分がHSPであると気づく

 

現在

心の病を治療しながら育児中

 

初めての心療内科

 

私は中学生ぐらいから、それまでの生い立ちが原因となり躁うつのような症状が出始めました。

 

中学生の時は病院に行くほどではありませんでしたが、高校生ぐらいから徐々に症状が悪化していきます。

 

すると私の様子のおかしさに気がついた伯父(実家に一緒に暮らしている毒母の兄、色々なことにすぐに気がつく。伯父もおそらくHSPであると思われます)心療内科に行こうと提案してくれて、祖母と伯父と私の3人で初めて心療内科に行くことになったのです。

 

初めて行った心療内科では、詳しいことは聞かれず症状に対する薬が処方されただけでしたが、私はこの頃から症状が酷い時に心療内科に通うようになりました。

 

症状が出ている時は、自分は価値のない必要のない人間だから消えてしまいたいと常に考え、命を絶とうと考えてしまったことが何度もありました。

 

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【毒母記録 41 】最終回 毒母に30数年の恨みをぶつける

 

 

毒母に30数年の恨みをぶつける

 

にゃりこは、30数年ずっと言いたくても言えなかったことを全て言ってやろうと思って毒母に電話しました。

 

にゃりこは、今まで溜め込んでいた毒母の恨みの全て、毒母のせいで中学生ぐらいから精神病になったことを話しました。

 

そしてにゃりこ自身が母親になり、毒母がした育児放棄などの行動がとんでもない行いであることを改めて実感し、人間のクズがすることであると伝えます。

 

すると毒母は

 

自分がクズであることを認めており、にゃりこや肉親全員に縁を切られて、孫にも一度も会えず、今人生の絶望であり、とても反省していると答えました。

そして腎臓病がかなり進行していて、心臓もやられており、旅行にも行けなくなってしまったと話しました。

また仕事は、働かないと生活していけないので在宅でなんとかやっているとのことでした。

(なお毒母の夫Mは体の悪い毒母を家に残して、一人で海外や国内などの旅行に行っているとのことでした)

 

毒母を訴訟したい

 

にゃりこは、毒母に今まで自分が本当に悪いことをしてきたと反省しているなら、にゃりこの養育費を今まで全く払わなかった分、孫のために時々お金がある時に入れて欲しいと伝えます。

 

すると最初はお金を入れると言っていましたが、話しているうちに気が変わったのか、にゃりこが毒母へ伝えた恨みの内容などに対して、無関係の夫Mまで電話に出てきて 誹謗中傷だと騒ぎ始めたのです。

(毒母は昔、将来にゃりこが大人になって恨まれて何を言われてもいいと言っていました。(【毒母記録 9 】参照)またにゃりこが納得するまで何度でも電話してきてもいい、自分が全て悪いのだからいくら責められても構わないと言っていました(【毒母記録 34 】参照 )が、いざ言われると言い訳ばかりで自分を守ることに必死でした)

 

そして時々孫の養育費を入れることに対しては、

 

「孫にお金を入れろって脅迫よ。裁判で訴訟されて裁判所からの命令なら払うから、私の育児放棄のせいで精神病になったことなどについて、訴訟しなさいよ

 

と強気に出てきました。

 

にゃりこは、訴訟したいのは山々だが今は赤ちゃんがいるため時間がないと伝えました。

 

すると毒母は

 

そんなに私を訴えたければ、子供なんて産まないで訴訟に集中してれば良かったんじゃないの?

 

と笑いながら言ってきました。

 

 

にゃりこは、これを言われて、毒母は人の血が通っていないサイコパスであり、頭もチンパンジーより多少マシなレベルのお猿さんなのでまともな会話をすることは不可能であると判断します。

 

そして、今すぐにでも訴訟してやりたい気持ちで一杯でしたが、今は息子の成長にとって重要な時期であるため育児に注力するので、時間ができたら訴訟すると言って電話を切りました。

 

にゃりこはひとまず息子の育児を優先することに決め、お猿さんに時間を使うより、一度きりしかない息子の成長をしっかり見ることにしました。

 

 

あとがき

 

私の毒母ブログを読んでくださったみなさん、ありがとうございます。毒母編は今回の記事で最終回となります。

 

いつもみなさんがはてなスターをつけてくださったり、コメントをくださるおかげで最後まで書ききることができました。

 

このブログを書く上で、私が物心つく前のことなどはわからないので家族に聞いたりしました。

 

家族と話す中で30数年一度も聞いたこともなく、初めて知ることもたくさんありました。

 

家族に毒母の話を聞くのが辛かったのと小さい頃のことをあまり思い出したくなかったので、今まで聞かずに過ごしてきましたが、今回全て聞いて自分の中で整理できたので良かったです。

 

現在毒母は、自分が今までしてきた行いのせいで天罰が下り、まだ50代前半なのに大好きな旅行にも行けなくなるほど病気で体が弱っています

 

 

なぜ、今まで毒母ブログでの一人称を “私” ではなく、 “にゃりこ” にしていたのかと言うと、自分の体験だと思いたくなかったからかもしれません。

 

 

私の実体験を読んで、私のような感じの人もいるんだなとか毒母のように女を捨てられず、母親になれない人が本当にいるんだな、など、読んでくださった誰かの参考になったらいいなと思います。

 

最後に両親に捨てられた私を実の娘のように引き取り、愛情を持って育て、大学まで行かせてくれた祖父母、それから叔父にとても感謝しています

 

祖父母と叔父がいてくれたから、心の病にはなってしまいましたが、幼少期両親がいなくてもそれなりに明るくやって来られました。

 

私はこれから、自分の心の病を治して大切な息子と一緒に前を向いて生きていこうと思います。

 

今後は主にHSPの特性、心の病についてなど書いていこうと思いますので、興味がありましたら読んでいただければ幸いです。

 

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【毒母記録 40 】にゃりこ自分が母親になり、毒母のクズさ加減を実感する

 

 

毒母に今後付き合わないことを宣言する

 

にゃりこは、退院してから少しして毒母にはっきり言っておこうと思い、以下のメッセージを送りました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

50代になって少しは性格がまともになったかと思ったけど、コロナ禍で緊急事態宣言が出ていて世間が自粛している中でも、頻繁に旅行に行っていたり【毒母記録 37 】参照)、お祝い事もいつも全てスルー【毒母記録 30 】参照)で非常識すぎるので今後は付き合うつもりはありません。

いつもお金がないと言ってるけど、それは年中旅行に行って散財してるからではないでしょうか?

 

それに今まで私が赤ちゃんの時から何一つしてくれなかったのに、私が大人になって赤ちゃんが産まれたら仲良くしたいなんて、そんなあなたにとっていいとこ取りだけさせることはできません

それから、息子の子育ての手伝いに関しては、子育て経験も責任感もないあなた(毒母)には心配で任せられません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

すると毒母からこのような返信が来ます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

お金がいつもないのは、その通りで稼ぎが少ないのにいつも旅行に行ってしまって全て使ってしまってるのでありません

だけど旅行は私の小さい頃からの夢で、私にとっては譲れないほど大切なことなので、今後も変えるつもりはないです

 

子育ての手伝いを任せてもらえないことは残念ですが、にゃりちゃんの言う通りなので仕方ないですね。

今後何かあったら、また連絡してきてください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

この時はこれで、話が終わりました。

 

 

にゃりこ自分が母親になり、毒母のクズさ加減を実感する

 

それから19ヶ月程、月日は流れます。

 

にゃりこは初めての子供で、わからないことだらけの中、かなり悩むこともありましたが必死で子育てを頑張っていました。

 

息子のことはとても大切で可愛く、間違いなく自分にとって最も大事な存在だったのです。

(ちなみにハイパー毒母の「自分が世界で一番かわいい」発言は【毒母記録 9 】【毒母記録 10 】参照)

 

にゃりこは、今までの人生でほとんど肉親もおらず、かなりな人間不信のため信用できる人間も少なかったので「私の元に産まれてきてくれて本当にありがとう」といつも息子に感謝していました。

 

たまに旦那に息子を見てもらってる間ににゃりこ一人で買い物に行くこともありましたが、数時間離れただけでも “今ごろ息子は何をしているだろうか” と気になりました。

 

これらのことから、毒母は成人までにゃりこの子育てを全くせず祖母に任せっきりで、好きなことだけをやってきたということについて改めて考え、にゃりこ自身が母親になったことにより、毒母の異常さ、クズさ加減を本当の意味で理解しました。

(毒母はにゃりこの育児を全て祖母に任せきりで、発達具合などについても聞いたことがなかったそうなので、自分の子供のことが全く気にならないのは、かなり異常であると感じました)

 

そして、このまま黙っているだけではなく毒母に言いたいことを全て言ってやらないと気が済まないと思い、話が通じる相手ではないと理解していましたが、言いたいことを電話で全て言ってやることに決めたのです。

 

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いつもブログを読んでくださってるみなさん、ありがとうございます。

次回毒母編最終回になります。

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【毒母記録 39 】50代になっても、非常識さが改善しない毒母

 

 

出産の次の日

 

にゃりこは、出産の次の日から赤ちゃんのお世話が始まりました。

 

にゃりこは息子を見たくて、用事がなくても何度も新生児室のガラス越しに息子を見に行きました。

 

そして、息子を見る度にこれから自分がこの子を守っていかなければならない、苦労してやっと来てくれた世界で一番大切な存在であると実感したのです。

 

毒母からの申し出

 

入院中ににゃりこがベッドで休んでいると毒母からメッセージが届きました。

 

内容は

 

“にゃりちゃん出産おめでとう。これから赤ちゃんのお世話が始まって、大変だと思うけど、今までにゃりちゃんに何もしてあげられなかった分、赤ちゃんのお世話のお手伝いなど色々としてあげたいと思っています。

 

にゃりこはこのメッセージを読んで、かけがえのない大切な息子のお世話を子育て経験も責任感もない毒母に任せることは、とてもじゃないけどできないと思います。

 

そして毒母からのメッセージには、子育ての手伝いの申し出のことにはついては触れず「ありがとう」とだけ返信しました。

 

 

退院後

 

にゃりこが退院後、家族や親戚が出産祝いを対面や書留で贈ってくれました。

 

しばらく経っても、毒母からは出産祝いはいつも通りありませんでした。

(毒母以外の身内は全員1週間以内に出産祝いを送ってくれました。毒母はこれまでもにゃりこの成人、就職、結婚などのお祝いは一度もくれたことがなく、全てスルーでした【毒母記録 30 】毒母、二度目の再婚参照))

 

そこで、毒母が非常識で情けないと思った祖母が毒母に

 

“身内ではにゃりちゃんにお祝いをあげてないのはアンタ(毒母)だけよ。産みの母親なんだからそのぐらいあげてもいいんじゃない?”

 

とメッセージで連絡します。

 

すると毒母から

 

“出産祝いはあげるつもりだった”

 

と返信がきて渋々出産祝いを送ってきました。

 

にゃりこは、毒母は50代になっても非常識な性格が改善していないと感じ、今後一切毒母と会わず、息子にも会わせないことを決めました。

 

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【毒母記録 38 】にゃりこの出産

 

 

毒母の夫Mに対する発言

 

毒母は、夫Mと色々な場所に出かけて仲が良いと思いきや、夫Mに対してこのような発言をしていました。

 

・私は車を運転できないけど、アイツ(夫M)はできるから、私が色々な場所に行くために車を出させて足に使っている

・少し前に中古のマンションを買ったけど(夫Mがローンで中古マンションを購入)、アイツが死んだらあのマンションは私のものになる

・家事全般を全てアイツにやらせていて、自分はほとんどやらず、楽をしてる

 

にゃりこはこの発言からMは、毒母が楽して生活するために手下のようにつかわれている存在だと知りました。

 

出産のための入院

 

予定日からちょうど1週間前の夜、にゃりこが夕飯の支度をしているとお腹が痛み始めました。

 

まさか陣痛?と思って時間を測ってみるとぴったり10分間隔でお腹が痛くなっていたのです。

 

にゃりこはこれは陣痛だと確信しましたが、陣痛が57分間隔ぐらいになるまで病院には来ないように言われていたので、一晩お腹の痛みで眠れずに家で過ごしました。

 

昼ぐらいになり、陣痛の間隔を測ってみると7分間隔になっていたので病院に電話して行くことになりました。

 

そして病院に着いて先生の診察を受けると、「今日か明日には産まれるので入院してください」と言われます。

 

にゃりこはなんとか入院手続きを済ませ、病院のベッドで横になっていると、スマホに誰かからメッセージが届いたという通知がありました。

 

確認してみると、それは毒母からの

 

“にゃりちゃん、あと1週間で予定日だからもうすぐ赤ちゃん産まれるかしらねー?”

 

というメッセージだったのです。

 

にゃりこは入院した直後に毒母からこのようなメッセージが来たので、認めたくありませんでしたがテレパシーか何かで繋がっているのかと恐怖を覚えました。

 

にゃりこは、一応

 

“今陣痛きてて、入院したから今日か明日には産まれる”

 

と返信しました。

 

 

 

にゃりこの出産

 

にゃりこが入院した後も陣痛は23分間隔から一向に強くならず、その日も一睡もせずに一晩過ごしました。

 

にゃりこは丸二日ほとんど寝ずに猛烈な痛みに耐えていたので、気が狂いそうになっていました。

 

昼になり「促進剤を使いましょう」と言われましたが、にゃりこは体力を使い果たしていて意識も朦朧としていたので先生に

 

「意識が朦朧としていて、いきめなさそうなんですが、どうしたらいいでしょうか」

 

と言いました。

 

すると先生が

 

「お母さんも赤ちゃんも弱っているので、吸引分娩にしましょう」

 

と言って、準備し始めた。

 

そして

 

「今から赤ちゃんを吸引しますので、にゃりこさんはひたすら息を止めて!」

 

と言われたので、にゃりこは最後の力を振り絞って全力で息を止めます。

 

すると赤ちゃんの泣き声が聞こえて、にゃりこの上に助産師さんが赤ちゃんを乗せてくれました。

 

赤ちゃんは元気な男の子でした。

 

 

にゃりこは赤ちゃんが元気に泣いているのを見た瞬間、辛い不妊治療中から赤ちゃんを授かった日のこと、48時間の陣痛のことが走馬灯のように思い出されて、普段人前で泣くことはほとんどありませんでしたが、涙が大量に溢れ出しました。

 

そして、改めて命の尊さを実感したのです。

 

 

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【毒母記録 37 】妊娠中のステイホーム

 

 

毒母に妊娠報告

 

にゃりこが妊娠して少ししてから、毒母から

 

「最近どうですか?」

 

というメッセージが来ました。

 

にゃりこは、そういえば毒母に妊娠したことを報告してなかったと思い、一応子供ができたことを伝えます。

 

すると、「おめでとう。よかったわね」という返事が返ってきました。

 

ステイホーム

 

にゃりこが妊娠中はコロナ禍初期で、感染者数が爆発している時期でした。

 

世間では妊婦が感染すると重症化して大変なことになると騒がれていたので、にゃりこは家から出ずにステイホームを徹底していました。

 

にゃりこはそんな中で、一応毒母は妊娠したことに対して「おめでとう」と言ってくれたし、赤ちゃんが産まれたら一度くらいは会わせてあげるか考えていました。

 

ある日、スマホSNSを見ていると毒母の夫Mが実名でやっているアカウントを見つけます。

 

恐る恐るアカウントを見てみると、毒母と夫M3連休以上の休みの度に、緊急事態宣言が出ている中にも関わらず、国内旅行に行っている写真付きの投稿がたくさん載っていたのです。

 

北海道、東北、関西、九州、四国全国あらゆる場所に、高い車を購入して行っている様子でした。

 

にゃりこは、毒母はいつも「お金がない」というのが口癖だったのにこんなに色々行けてすごいなと感心しました。

 

また、介助人が必要なほど体の具合が悪いのによくこんなに行けるなと思いました。(お金がない、介助人が必要なほど具合が悪いという発言は【毒母記録 32 】参照)

 

 

にゃりこは、この毒母のとても非常識な行動を知り、赤ちゃんに会わせることが益々嫌になりました。

 

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